まったくのゼロから形のあるものにする事にあこがれがありました。
既存のものに手を加える事じゃなく、本当にゼロからやる事はある意味自由なんですよね。
今の仕事になってからはそれが実感できてるのですが、それが何の事なのかを書いてみたいと思います。
材料支給の仕事
みなさんこんにちは、ほぼフリッパーのカケヅカ(@kakedukzss)です。
今の仕事はリールパーツやレンタルボート関連のパーツを作る仕事なんですが、その前は溶接業でした。
自宅が職場だったんですが、基本的に材料は支給で単価も最初から決まってました。
そんな中で仕事へのモチベーションはあがる訳がなく、ただ時間を浪費してるだけでしたね。
長年製造工場を経営してきた両親も、自社製品というものには一切興味がなく、仕事は他から頂くものという認識でした。
それを見て育った自分も影響は大きく、作りたいものがあっても仕事には結び付かないと思い込んでたんですよ。
とにかく目の前にある用意された仕事を淡々とこなすだけでした。
ヤフオク
現在KAKEDZUKA DESIGN WORKSで一番の売れ筋商品はレンタルボートラダーです。
と言っても、他にまともな商品がほとんどないんですけどね(笑。
そのラダーですが、元々は自分が使うために作ったのがキッカケでした。
亀山湖で使う事を考えた時に、アルミ製のラダーは耐久性が乏しく、それでいて値段が高い。
なら作るか、という安易な考えでした。
で、友達に頼まれて数台作り、そのうち知らない人からも声をかけらるようになり。
これ売れるんじゃね?、と思ってヤフオクに出してみたんですよね。
それが予想外に売れて(笑。
恐る恐る付けた値段がまったく関係無く即売だったんですよ。
まあそんなに数を作った訳ではなかったですが。
でも写真の撮り方を研究したり、説明文をつくったり。
入札を検討してる人からの質問に応えたりするのは楽しかったんですよね。
それって材料を自分で手配して、何も無いところから商品を作り出すんですよ。
図面も自分でひいて、自分で作業して、オークションに出品して、売れてお金が手元に入るという。
これは楽しかったですね。
産み出す楽しさ
これに味をしめてドンドン商品を考えたのですが、そこは趣味の範囲ですから限界がありました。
そうなると、いっそ仕事にすれば毎日好きな事をやれる、と思うんです。
でも周りの理解がないんですよ。
その頃の両親は自社製品なんて無理に決まってる、とうい感覚でしたから(笑。
長年の感覚を変えるのは簡単ではありません。
自分がいくら情熱を持ってやりたくても、借金もあったし家族もいたし、収入が一時でも途絶えるのは考えられなかったんですよね。
でも好きなものは好きなので、趣味の範囲でポートパーツを作り続けました。
実際に亀山湖で使ってみて、また改良を繰り返してバージョンアップしていくのは楽しかった。
何の縛りも無く好きなものを作るのは最高に幸せでしたね。
ただ、そのあと二人目の子供ができて、釣りからは離れる事になっていきます。
この世に存在しない会社
ある日本屋で立ち読みしていて、その本の帯に書いてあった事に人生が変わるほどのショックを受けます。
「もしもあなたの会社にホームページがないのなら、それはその会社がこの世に存在してないのと同じ事です」、という。
これはつまり、インターネット上に存在しない会社は終わってるという事を言ってる訳ですね。
もちろんその時はホームページがなかったので、そこから夢中でホームページを作成しました。
毎日夜遅くまでコツコツと、でも結構なペースでホームページを作ったんですよ。
自分はパソコンに触った年齢が遅かったので、知識は乏しく作業も難航しましたが、ただパソコン作業は楽しかったですね(笑。
パソコンに向かってる時は時間を忘れてやってました。
そして何とか無料でホームページを立ち上げたんですが、そこから自分の人生が大きく変わり始めます。
テレビ製作会社から突然の電話
これは大げさではなく、まずはテレビ局から電話が入りました。
フジテレビの深夜番組でしたが、「ワンピーク」というSASUKEのパクりみたいな番組で(笑。
ディレクターさんがホームページを見て連絡をくれたんですよね。
じつはこの企画は大手企業ではなく、小さな町工場の職人が集まってやるという設定だったらしく(笑。
「金属加工王決定戦」みたいなタイトルで出場する事になります。
まあ思い出づくりのような感覚ででましたが、10人以上の出場者の中で結構カメラに抜いてもらったんですよ(笑。
港区の砧スタジオまで行って、16時間くらいかけて収録したんですよね。
いまでもおかしな感じです(笑。
ちなみに、前にヤラセで告発された「ホコタテ」という番組の制作会社でした。
まあオフレコですが、相当やり直しましたからね(爆。
さらに運命の電話
そんなテレビ出演は良い思いでで終わりましたが、人生が変わる事件はそのすぐ後でした。
それがHEDGEHOG STUDIOの社長からの電話だったんですね。
釣りを止めていた自分はその会社の名前を知らず、完全に怪しい勧誘か何かだと思ったんですよ(笑。
でも聞いてみると釣り関係の商売らしく、ラダーを二台も買ってくれたんです。
それを持って本社に行った時の事はいまだにハッキリ覚えてますね。
そこから本当に色々ありましたが、なぜか今こうしてリールパーツを作る仕事になってるという。
好きなものを作りたくて、もがいてるうちに道が開けたという感じですね。
寝てたらチャンスは来なかった
「果報は寝て待て」と言いますが、自分の場合は「蒔かぬ種は生えぬ」の方がピンと来る感じですね。
とにかくもがいてもがいて、自分が動く事で家族をうごかしたという感じですから(笑。
ジタバタしまくりましたね。
それは今もそうなんですが、とにかく寝てるのがもったいないくらいやりたい事が沢山あるんですよ。
それは少し前から考えると信じられないくらい幸せな事ですよね。
今はすべての仕事の決定権が自分にあるので、両親がどんなに心配しても「知らんがな」という(笑。
どうやら自分の人生は後半が楽しいらしいです。
これから死ぬまで楽しい事が盛り沢山ですね。
若い頃は罪悪感しかなかった釣りですが、この時のためにやってたんだと思えるようになりました。
仕事をサボってやっていたパソコン作業も、今では真逆になりましたから(笑。
今年48歳になりますが、人生取り返す勢いで楽しんでやろうと思ってます。
