今から約三年近く前、それまで6年ほどまったくやってなかったバスフィッシングを再開する事ができたんです。
でも、ペースで言ったら月に一回。
これではかなり物足りないですよね(笑。
それでもチャプター房総の試合では必ず前日にプラクティスをするので、月二回とも言えますが、それでもやはり少ないです。
ただ、自分の中で釣りを止めてた時期にも、行こうと思えば月に一回くらい行けなくもなかったんですよね。
それなら今とペースは同じなのに、なぜその時は行かなかったのでしょうか?
それは自分の気持ちの問題が大きかったんですよね。
人生の転機
みなさんこんにちは、ほぼフリッパーのカケヅカ(@kakedukass)です。
自分が三年前まで釣りを止めてた理由はいろいろありますが、結局環境を作れずに自分が辛くなってしまったんですよね。

結婚して子供ができると、共働きの嫁は外に働きに出ますので、家仕事の自分は強制的に家の事をやるようになります。
まあ、今時のお父さんは家事やら家の事をやらないと、生活が成り立ちませんよね。
で、普段の日は朝6時前に起きて、子供の身づくろいをして、自分もごはんを食べたり歯磨きしたり、勤めの嫁のペースに合わせてあわただしく朝の時間を過ごします。
嫁としては、「どうせ家にいるんだから、あれもやっておいて、これもやっておいて」というスタンス(笑。
この価値観を変えるまでには、結構時間がかかりましたね。
環境の変化
自分は結婚が遅かったので、長い独身時代は好き勝手に過ごしてきました。
休みはほぼ釣りに行き、好きに使えるお金は多くが釣りに消えていきました。
そんな生活から、急に結婚して子供ができたので、家庭をやりくりして釣りに行く時間を作るのは相当に過酷でしたね。
前日の夜は子供を寝かしつけて、それから家族で使う車の中身を全部出して、そこから釣り道具を積み込みます。

寝不足で釣りに行き、そのまま一日釣りをして、夜に帰ってきてからは、車の釣り道具をすべて降ろし、元もと積んであったものに積み替えるという。
そして家に入ってからは子供を風呂に入れて、布団を敷いて、子供に薬を飲ませて、本を読んで寝かしつけます。
その後工場に降りて、降ろしておいた釣り道具を翌日の仕事に影響しないところに片付けます。
もちろん釣り部屋がある訳ではないので、主に工場の中二階のようなところに片付けるんですよね。
それを数年続けましたが、こども二人がどんどん手がかかるようになってきて、あまりに過酷すぎて心が折れてしまいました。
東日本大震災
釣りブランクが明けるのは、環境が一気に変わった事が要因でした。
2011年の東日本大震災です。
これについては過去記事に書いてますが、今思い出しても、あの頃の苦労が蘇ってきますね。
とにかくシロアリとのダブルパンチで、死に物狂いで今の家を建てたんですよね。
で、家が建つのと三番目が産まれるのが、同じタイミングになるという(笑。
あの経験があって、人生いつ終わるかわからない、という覚悟みたいなものが強烈に芽生えたんですよ。
で、一世一代の大決心で、今の仕事に方向変換したという。
もうメチャクチャな人生ですが、やれば何とかなる、という事も実体験として勉強しました(笑。
そこからは、とにかく釣りをするための環境を最優先課題として動きましたから(爆。
ブランクは完全に明けたぜ
ヘタしたら、数年前よりも釣りに行く時間は少なくなったかもしれません。
でも、大きく違う事は、受身ではなく勝ち取った環境である事。
以前は何とか釣りに行くために、家庭をやりくりして仕事をやりくりして、お金を節約して、周りに気を遣って。
それが今は、完全に釣りに行くのが仕事という位置付けですから。
釣行回数は変わらなくても、中身が全然違います。
堂々と、仕事として釣りにいける環境を構築しつつあります。
まだまだ無理しないとキツいですが、それでもそこから製品につながるアイデアとか、ものづくりのマインドを持って帰ってこれます。
ラダーを作るのも、個人の手売りから、自社製品へと昇格しました(笑。

もう釣りブランクではありません。
なんの手かせ足かせもない、思いっきり釣りができる環境になりました。
このまま突っ走って、釣り場に隣接する工場で仕事をするのが目標ですね(笑。
【今の自分は釣りブランクなのか 月イチ釣行記】を最後まで読んで頂きありがとうございました。
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