こんにちは、元JBプロでほぼフリッパーのカケヅカ( @kakedukaSS )です。
先日大昔の写真が出てきて、過去の苦い思い出を噛み潰してるところでして(笑。
まあ、基本的にJBの試合はすべて苦い思い出しかないんですけどね。
でも、唯一もしかしたら輝いていたかもしれない事があったんですよ。
この前の記事にチョッと書いた試合の事なんですけどね。
ただのタラレバなんで、興味のない方は飛ばしてくださいね(笑。
身の程しらず
1999年6月の琵琶湖。
当時JBマスターズプロ昇格一年目の第二戦目でした。
前年度に行われたJBの下のシリーズで出場権を取ってマスターズに昇格した一年目。
といっても、一年参戦すれば希望者は自動的に昇格できたんですよね(汗っ。
しかも年間6戦中の3戦に出場すれば権利がもらえるというゆるいシステムでした。
そんな訳で、晴れてマスターズプロになったわけですが同年3月に行われていた開幕戦河口湖には見事にノーバイトノーフィッシュの参加点のみ。
その時点で間違ってもバスオブザイヤーなどにはまったく縁のない戦いを強いられる訳です(笑。
この時で30歳手前くらいだったので若いという訳ではありません。
身の程知らずという事は重々承知で何か起こさないと後がない、という思いはあったんですけどね。
で、初めての琵琶湖戦に早くも背水の陣で挑む事になったんですよ(笑。
まったくのノープランでしたけど。
セコい作戦
琵琶湖自体は初めてではなかったんですけど、試合で来るのが初めてだったんです。
それはプライベートの釣りとは全然ちがって、湖に浮かんでるのは全員敵に見えましたね。
その頃に自分は12フィートのアルミボートだったので、一日で全域をカバーするのはとても無理でした。
しかも明日のフライト順がどうなるのかで釣りがまったく違ってきます。
もしもフライト順が遅ければ先行できるエリアは極わずか。
その逆算からチェックするエリアを選ばざるをえなかったんですね。
で、湖に出て最初にチェックしたのが名鉄沖。
スタート地点の山ノ下湾からほど近い誰もが触るエリアです。
で、そこで事件が起きてしまいます。
ウイニングウエイトを超えていた
開始数投目からナイスフィッシュのラッシュに当たってしまいます。
釣れればキロオーバーというラッキーな展開。
時期が6月という事で、おそらく二日とも6キロで行ければ優勝ラインでしょう。
(事実優勝者のウエイトは二日合計で約10キロでした)
そして極めつけが写真にある推定55オーバーという当時のスーパーキッカーでした。

この時ザッと計算しても5本で7キロオーバー。
キッカーがなくても6キロはあるという大事故。
仲間内の先輩達からは「そこはそれ以上触るな」と。
試合前夜は宿で「あしたはカケタロウの日だな」、と。(当時そう呼ばれてた)
フタを開けてみたら
で、試合当日のクジ引きはラストフライト。
まあ、当日参加組がラストフライトなのでラス前という事ですね。
でもプラクティスでは誰ともバッティングしてないし、問題ないはずでした。
その予想は的中し、自分のエリアは貸切状態。
エリアに到着して一投目から心臓がバクバクで来るべきビッグバイトに備えたのですが。
まったくのノーバイトノーフィッシュ。
何が起こったのか自分でもまったくわかりません。
何か重大なミスをしたのか、それすらもわかりません。
昨日釣りすぎた?
でも1本も釣れないなんて事があるなんて。
帰着後に先輩から「どう?」とニヤニヤ顔で聞かれましたが。
「ダメでした」と答えても最初は信じてもらえず。
でもライブウェルを見せると、一斉に肩を落としましたね。
昨日は一体なんだったのか。
開き直った二日目
期待させておいてからのまさかのノーフィッシュでとんだピエロと化した自分。
これで開幕戦から3日連続ノーフィッシュです。
この時の精神状態は最悪で、「どうせ少しくらい釣れても参加点しかないよね」、と。
皮肉な事に二日目は昨日と逆順なのでファーストフライト。
どうせ誰ともバッティングする事はないのですが、他に行くところもないので昨日とまったく同じエリアに入ります。
ちなみに初日のトップウエイトはあの深江真一さんでした。
名鉄沖の自分のエリアからさらに沖でスやってるのが良くみえてましたよ。
という事は初日の魚は沖にでてたんでしょうかね。
で、二日目はそれを聞いた他の選手が船団になってそのエリアは潰れたんですよ(笑。
深江さんは二日目ノーフィッシュでしたから。
魚が戻ってきた?
なんというか、不思議な現象が起こるもんです。
ここで二日目の自分のエリアはプラクティスほどではないですが復活するんですよ。
1本目こそキーパーギリギリでしたが、二本目に会心のキッカーが入ります。
今から思うと、二日目に深江さんのエリアに船団が出来たために沖の魚が少し岸に寄ってきたのではないかと。
当時の自分のレベルではそんな事はまったく計算できず、ただ自分のエリアを釣る事しか考えてませんでした。
結果的にその後ポツポツとバイトがあり、釣れればキロアップという逆まさかの展開。
でもミスバイトがあったり、バラしもあったりでリミットが揃わず。
で、キーパーギリギリを含む4本で3568というウエイトでした。
狙っていた魚で揃えてたら6キロもあったかもしれません。
これがトッププロなら、プラクティスの感触を見て初日を沖で、船団ができた二日目をインサイドで、と釣り分けられたんでしょうか。
二日合計7キロあれば
まさにタラレバですが、二日合計7キロ台でシングル入賞でしたから。
せめてお立ち台に絡むような魚をもってきたかったですね(笑。
初日トップの深江さんが6510kgで51位という事ですから。
これに、仮にですけど自分のウエイトを足すと優勝だった訳です。
何の計算なんだよ?という突っ込みが聞こえますが、広い意味で同じエリアを釣っていたという事です。
偶然なのでエラそうには言えませんが、展開しだいでは勝てた可能性があるのか、な?
まあ、自分のトーナメント人生の大きな分岐点だったように思うんですよ。
あそこで間違って上位に行ってたら勘違いして続けてたかもしれないなぁ、と。
今となってはどうしようも無いですが、チャンスを掴めなかったんだなぁ、とね。
(今回は写真などほとんどなく、当時の思い出だけを書きなぐってみました)
